ネパール エベレストBC トレッキング4

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2018年ゴールデンウィークに行ってきたエベレストBCトレッキングの山行日記4です。日記3はこちら

費用やスケジュールなど、概要は下記にまとめています。

DAY12 ペリチェ – プンキテンガ (3250m)

昨日の夜ご飯を盛大に残してしまったので、朝ご飯の注文はとても慎重になった。
注文するからには、ある程度食べられる自信のあるものにしなければ。
が、どのメニューも食べる自信がない。
フルーツなら食べられるのでメニューに書いてある名前だけだと、シリアルとアップルという単語しかわからなかったので、いったいどんなものが出てくるのか、ちゃんと食べられるのかちょっと自信がなかったが、ほかに選択肢がなかったので注文した。
シリアルは細かく、温かいミルクにかなり浸されていて、お粥のような感じ。とっても今の自分の体調に合っていて食べやすかった。
リンゴはもちろん全部食べた。
シリアルも、半分ほど食べることができてホッとした。

ロッジのスタッフに、ペリチェの病院の場所とオープン時間を尋ねると、場所はロッジのすぐ近くだけどオープンは9時とのこと。
この日の朝、ペリチェには何台ものヘリが着陸していたので、きっと高山病患者が一時的にここに来ているのではないかと勝手に予想し、9時に病院へ行ってもすぐには診てもらえないような気がした。今日は何がなんでもプンキテンガまでは下らないといけなく、今の自分の体力では、6時間以上はかかってしまうことが予想されるので、ここでの診察はあきらめて出発した。きっと標高が1000m下がり、今夜からはダイアモクスを飲まなくて済むので、夜中のトイレが無くなり多少楽になるんじゃないかと期待もして。

ペリチェのロッジを出ると、昨日と同じくかなりの強風。
天気は快晴。
ネパール エベレスト街道 ペリチェ ロッジ

きっとここは地形上、風の通り道でいつも強風なんじゃないかと思った。
標高は4200mほどで快晴なのに、この強風でとても寒いので服装はフル装備。
トレッキング客は誰もいない。昨日と同じく、この雄大な景色の中を静かに堪能できた。

ネパール エベレスト街道 ペリチェ

ネパール エベレスト街道 ペリチェ

ペリチェからパンボチェへ戻る少しまえに、ペリチェパス というものが地図に書いてあるのをしっかりチェックしていた。
〇〇パス は、峠越えのようなものと数日前に学んだので、今回は心の準備ができている。
ペリチェパスに入ったあたりから、昨日から続いていた強風はウソのように無くなり、すぐに暑くなり、どんどん服を脱いでいった。
やはり、ペリチェは地形上、風の通り道ということなのかもしれない。
人酔いするくらい沢山いたトレッキング客がいないのは、きっとこの強風をさけてみんなディンボチェ経由でかえっているのかもしれない と思った。
(このあと、ルクラまでずっと人がほとんどいなかったので、なぜ帰り道は空いていたのかさっぱり理由がわからないままだ。みんなリッチツアーでヘリ下山したのだろうか・・・)

途中、パンボチェでランチ休憩。
ツナサンドを食べた。半分食べることができた。
ツナサンドを注文したときに、少し悩んでからOKもらったので、なんでだろうと不思議だった。
ダイニングに保管してあったツナ缶を調理場へ運んでいるのが見えたのだけど、かなり大きな缶詰。
ランチ時の客は私しかいない。きっと、一人分のツナサンドを作るのに、ツナ缶一つあけちゃうと沢山余ってしまうので悩んでいたのかもしれない。
半分食べることができたけど、半分残すことはとても申し訳ないような気がしたので、このあと食べることができるかどうかわからないけど、ジップロックに入れてテイクアウトした。

この時点で、けっこう疲労していて、お茶を2杯注文してかなりゆっくり過ごした。
地図を何度も何度も確認し、やっぱり今日はプンキテンガまでは行かないとと、なんとか出発した。
天気が良いことは本当に助かった。この体調でもし雪や雨だったら、かなり辛かったはず。

ディボチェまではずっと下って、そのあとのディンボチェまでのちょっとした登り道は、もう抜け殻のような顔をしながら歩いていたと思う。
やっとの思いでディンボチェまで登りきって、もう疲れたからここで泊まりたいなという誘惑に駆られたが、心を鬼にしてプンキテンガまで下った。

ここまで、本当にウソのように、トレッキング客はほとんどいなかった。
とても静かなトレッキングだった。

プンキテンガのロッジは、小さいがとても綺麗。スタッフさんも親切で、心地よくすごせる。
小さなロッジが2軒ほどしかないので、ここは大人数の団体客の宿泊地にはならないだろう。
到着してまもなく、やっぱり発熱した。
標高3200mまで下がったのに、この日もほとんどごはんは食べられず。
喉も腫れてきて、声が出なくなってしまった。
ので、食事の注文などコミュニケーションは全部筆談とジェスチャー。

トレッキング中の楽しみとして、ロッジに宿泊している色んな国の人たちとのコミュニケーションは、この景色を見るのと同じくらい楽しみにしていたのだけど、今回はほとんど体調不良で個室に籠っていたうえに、この日からは声も出なくなってしまったので、ほとんどコミュニケーションはできず、一人もくもくとすごす修行のようになってしまった。

夜は、咳が悪化し、ほとんど眠れなかった。咳で腹筋が疲労。
ダイアモクスをこの日から卒業したのと、標高3200mほどになったので、ご飯をしっかり食べられて熟睡できると期待していたのに。

DAY13 プンキテンガ – ジョルサレ (2800m)

朝方は大荒れの天気で、雪も降った。明るくなってからもずっと荒れていて、この日のスケジュールについて悩む。健康体だったら、予備日がないのでこんな天気でも出発するだろう。このあとは樹林帯だから多少の荒れ天候は問題ない。が、この体調でこの大荒れのなか進むのはかなり厳しいな・・・と悩んでいたら、7時ころにはすっかり快晴無風となって一安心。

ナムチェに行って病院へ行こう というか、ナムチェに病院はあるのだろうか。ロッジに人に聞いてみたら、ナムチェには病院があるとのこと。それが、ただの薬局なのか、きちんと医師免許を持っている医師がいるきちんとした病院なのかがわからなかったが、ナムチェの病院へ行って症状が和らぐことと日本食レストラン「ともだち」でうどんが食べられるのを心の支えに、プンキテンガからの急登を頑張った。

朝方積もった雪は、太陽パワーでぐんぐん溶ける。樹林帯を歩いているときは、あまりにも木々から水が落ちてくるので、カッパを着てザックカバーをして歩いた。急登を終えて、キャンツマへ到着すると、やっぱり素晴らしい景色!ここまでくるだけでも、十分だと思える。
桜のような花がたくさん咲いていて、お花のトンネルのようになっていてまた素敵だった。行きでは気づかなかったので、ここ数日で咲き出したのだろうか。そして、ここからナムチェまではもう急坂はないので、気持ちも軽い。

ネパール エベレスト街道 トレッキング

ネパール エベレスト街道 トレッキング

ナムチェに到着し、まずは行きで泊まったロッジへ預かってもらっている荷物を取りに行く。
ナムチェではタスクがいくつかあったので、意識モウロウとして忘れてしまわないように、きちんとメモしていた。
ロッジの前までたどりつくと、スタッフ(もしかするとオーナーかも)が外にいて、私をきちんと覚えていてくれウェルカムしてくれた。無事に行ってきたことを報告し、預かってもらっていた荷物を受け取る。本当は、ここで一泊したかったのだけど、もうスケジュールがギリギリで今日はジョルサレまで行かなければならず、お茶だけでロッジをあとにした。
ここナムチェに病院はあるのか聞いてみたら、やっぱり病院はあった。場所は、ロッジの窓から見える。このロッジよりも少し高いところにあり、綺麗で立派な建物だったので安心した。しかし、一度けっこう下ってから、けっこうな登り返しとなるため、重たいバックパックが邪魔に感じた。病院へ向かう前に、レンタルシュラフを返却したほうがよかったか・・・

病院は土足禁止で、日本の家のように靴を脱いで中へ入った。中は広々としていて清潔。若くイケメンで優しいネパール人ドクターが丁寧に診察してくれ、薬を出してもらった。体重計があったので計ってみたら、5kgほど痩せていた。前回のゴーキョでも体重は計らなかったけどかなり痩せたので、私は高地に弱い体質なんだと知る。高地登山は痩せてしまいやすいので、事前に少し太っておくくらいがちょうどいいと言われていることもこの時知る。その日使うエネルギーをその日に口から摂取できないから、あらかじめ脂肪として身にまとっていき、高地では点滴のように消費されるというイメージだろうか。

診察の詳細や保険の使い方は下記ページにまとめましたのでよかったらご覧ください↓

これできっと楽になれると気持ち軽く、このあとはレンタルシュラフを返却しに行く。
お店に行くと、お店はあいているが誰もいない。
数分待っていると、店主が現れた。シュラフを返却し、明細書を見せデポジット分の返却を要求する。1万2千ルピーほどが戻ってくる予定。
シュラフに破損個所や汚れがないことを確認してもらい、1万2千ルピー満額の返却を認めてくれたが、なんかそわそわしている。
急に、もうランチは食べたのかと聞かれて、まだだと答えると、
今ここに現金がないので、これから準備をする、少々時間がかかるので、ランチをしたあとにまた戻ってきてくれないか とのこと。
本当かよー と思いながらも、ここはネパール、 きっとデポジット分も資金繰りにまわさなきゃないほど大変なのかも と思い、そして、もしかするとこのデポジット分はあきらめなければならないかもしれない とも覚悟しつつ、いったんランチに行くことにした。
少しあきらめ感があったが、でもここは多くの人がくる観光地。ここでお金がかえってこないなんてことはきっとないだろう、そんなことをしていたら、インターネットですぐに評判が広まりとっくに倒産閉店しているはず。と、前向きな気持ちで、楽しみにしていた日本食レストラン「ともだち」へ。

レストランに入ると、東洋系の若い女性が一人。しばらく様子見していると、日本人だとわかり、嬉しくなりお話した。声を出すのは大変だったのだけど、なんとか絞りだしているうちに、なんとか喋れるようになっていた。シャンプーしたてのような綺麗な頭髪だったので、きっとナムチェまで観光に来たのかななんて思っていたら、なんとエベレスト登山に来ている方だった。トクラ付近で出会った日本の方もエベレストチャレンジしてきた方だったので、こんなにもエベレストチャレンジしている人がいるんだと驚きだった。
綺麗な頭髪は、ナムチェのヘアサロンで洗ってもらったからとのことだった。(私も2度訪れたことがあるあのヘアサロンだ。2度目に行ったときに水シャワーだったので、怖くて近づけないお店だ。彼女が訪れたときはきちんとお湯シャワーだったそう。)
一度、標高7000mほどのところまで行き、チーム全員の疲労がたまってきたのでいったん降りてきて休憩している最中とのことだった。
休憩するために下りるといっても、エベレストベースキャンプからここまで、普通の人の足で2-3日かかるところだし、何度も往復するのはずいぶん億劫なことじゃないかと聞いてみたら、ベースキャンプからナムチェまでみんなでヘリで来て、数日休息をとったら、またヘリでベースキャンプへ戻るそうだ。エベレストは、そうやって登るものなんだなあと驚きだった。(お金かかってそう)

こうして、私にとっては驚きの連続なおしゃべりをしていると、欧米人の男性2人組がお店にやってきて、私たちの隣に座る。
ここは日本食レストランで、私たちは日本人なので、彼らはたくさん日本をほめたたえてくれた。私にも理解できるとても簡単な英語で、笑いの連続な面白い話をたくさんしてくれた。どこへ行ってきたのか聞いてみたら、なんと彼らもエベレストへチャレンジしてきた人たちだった。途中で引き返してきたとのことだけど。
またもエベレストにチャレンジした人に出会い、本当にびっくりした。私にとってエベレスト登山は、遠い遠い、映画の中の世界だったので、そこにチャレンジするリアルな人にたくさん出会ったことはかなりの刺激となった。
そして、エベレストの各キャンプ地では、咳が蔓延していて、いろんなテントから咳の合唱が聞こえていたとのこと。
みんな私がさきほどの病院で手に入れた、咳止めシロップを飲んでいるらしい。
クーンブ咳とか呼ばれているみたいで、いつものことらしいようだ。
高所登山の時は、咳喘息の体質の私は絶対に風邪をひかないようにもっと体力をつけてこなければならないのと、喘息の薬は必須だと悟る。

こうして、会話が楽しかったのでよかったのだけど、注文した料理は注文を忘れたんじゃないかというくらい出てくるのが遅かった。
忘れたころにでてきたうどんは、日本のうどんとは麺がちょっと違うけど、和風だしと醤油の味付けで食べやすく、数日ぶりに完食した!数日ぶりに胃袋が満足している!やっぱり私は日本人で、生まれてから〇〇年食べ続けた日本食から離れることは難しいと実感。健康体じゃないときは特に。次回からは、味噌汁の他にもフリーズドライのにゅう麺とか、重さが気にならない日本食は沢山持ってこようと誓った。

思いがけず長居してしまったが、久しぶりに体が喜ぶ食事ができ、楽しい会話を楽しむことができ大満足。そして、シュラフレンタルのデポジット代を返してもらおうと、例のお店へ行く。
誰もいない。
くそー やられたか と苦い顔をしていたら、隣のお店から女性が来て、ちょっと待ってねと声かけられた。
ちょっと待つと店主が戻ってくる。そして、もうちょっと待ってほしいと懇願され、しかたないので承諾して、薄暗いお店で立ち往生。店主はいなくなったが、スタッフ1人はお店に残り、私のご機嫌取りをはじめた。もしかして、日本食レストランで食事がでてくるのがあまりにも遅かったのは、ここの店主とグルだったのでは・・・
前回行ったときは、すぐに料理出てきたし、何よりも、日本食レストランなんだし、日本で働いたことがある日本語がしゃべれるスタッフまでいるんだから、時間にきっちりするところまで日本なはず。

数十分待つ。なんか、とてもイライラしてきて、お店の真ん中でザックを下ろし、堂々と胡坐で座り込んだ。顔は怒り噴出寸前という感じだったと思う。ここにお客さんが来たら、怖くて逃げだしただろう。こうして営業妨害でもしないと気がすまなくなっていた。

営業妨害してから数十分、やっと店主が現れ、全額返金してくれた。

ホッとしたけど、とても疲れた。高額なデポジットを要求されたら要注意だ。

想定していたよりも、だいぶ遅い時間にナムチェを出発。病院でもらった薬が効いたのか、それとも単なるプラシーボ効果か、身体は楽になった。そして、レンタルシュラフを返却したので、荷物が軽くなったうえに下り道なので、鼻歌歌えるくらいに楽だった。

が、下りきることにはヘトヘトになっていた 笑。道中出会ったガイドさんらしき人たちには、ジョルサレではなくモンジョで宿泊するようにお勧めされていた。理由は聞かなかったけど、きっとジョルサレにはあまりいい宿がないんだろうなと察知。3度も通っているのに、ジョルサレの記憶が全くない。

ジョルサレに到着すると、まずはトレッキングパーミットのチェックポイント。そこで、係員をなにやら揉めているトレッキング客が一人。ものすごい剣幕でその客に、ここであなたはお金を支払ったか? と聞かれたが、あまりの剣幕にビビったのと、ここでお金を支払うなんてまったくもって思っていなかったので、英語聞き間違えたかと焦り、声が出なかった・・・
そのあとも、もはや私には理解できない英語での激しいやりとりが続き、いったいいつになったら私はここを通過できるのだろうかと遠い目で傍観するしかなかった。体調悪くなってきていたので、早く宿を見つけて横になりたかった。

係員が途中で私に声をかけてくれ、パーミットを見せてスタンプをもらい、やっとジョルサレに入ることができた。私の乏しい英語力では完ぺきに理解することはできなかったが、さきほどの彼が怒り狂っていた理由は、一度このチェックポイントを通過していて、何かの理由でいったんまたこのチェックポイントに戻ってきてジョルサレへもどり、すぐにまたこのチェックポイントを通過してナムチェ方面へ行こうとしていたので、もう一度料金を支払えと言われていたようだった。トレッキングパーミットには期間が記載されているので、普通に考えればその期間内であれば追加料金はいらないはず。彼が怒り狂うのは当然だ。

無事にチェックポイントを通過でき、さっそくジョルサレで宿探し。が、営業していないか営業していないだろう宿か、泊まりたくないなと思われる宿が続く。こういうところでは1軒目から宿泊可能か打診するという自分ルールをまたもや破る。数件見逃して、やっとよさそうなロッジを見つけて泊まれるかどうか聞いてみるとNGだった。他に客はいないから部屋は沢山あるだろうにと思ったが、きっとレストランしか営業していなかったのだろう。ここの息子さんらしき人が、他の泊まれるロッジを紹介するから着いておいでと外に出た。ついていくと、来た道をどんどん戻る。上り坂ということになり、もうけっこう体調悪くなっていたので、しんどい思いをしながらついていく。戻るということは、私が泊まりたくないなと思ってきたロッジのどこかを紹介されてしまうわけなので、断りたかったが、もういまここで倒れこみたいくらいしんどくなっていたので、もう泊まれればどこでもいいやと思ってきた。

紹介された1軒目は、団体客でダイニングは人でいっぱい。団体客がいるところは嫌だなーなんて思っていたら、ここは満室で泊まれなかった。
2軒目、営業していない。
3軒目、なにやら話し込んでいて、息子さんがオーナーを押し切っている感じで、オーナーはしぶしぶ承諾 みたいな会話がされている感じだった。でも、ロッジのオーナーは、笑顔でウェルカムしてくれたのでホッとした。紹介してくれた息子さんと思われる人はここのオーナーに、紹介料100Rsよろしくなみたいなことを言って(憶測)笑顔で去っていった。

ネパール エベレスト街道 ジョルサレ ロッジ

部屋は、天井と壁に窓があり、とても明るい。あまりにも明るいので、電気つけてる感覚に何度も襲われ、部屋に入るたびに電気の無駄遣いだと電気を消そうとした 笑。天井窓の威力はすごい。

宿泊客は私だけだった。トイレはどこか聞いてみると、なんと、どこからも丸見えな路地を指さされる・・・夜は室内のトイレが使えるようになるけど、それまではここを使ってくれと・・・エベレスト街道で、まさかのオープントイレ・・・まだ尿意はなかったので、とりあえずは自分の部屋に戻りくつろいでいると、すぐにオーナーに呼ばれる。室内のトイレに案内された。夜を待たずに室内トイレを使えることになりかなりホッとした。他の客室と思われた部屋は、ロッジのスタッフ(家族?)が使っていたので、きっとここはレストランだけ営業していて客室は営業していなかったのだろう。営業していない=部屋の換気はされていない可能性が高い=塵埃の山=喘息ぎみの咳が悪化する と不安になり、とりあえず窓を入り口を開けっぱなして換気に努めた。布団の塵埃具合もかなり気になり、触らないようにした。

夜ご飯は、具合悪くてあまり食欲がなかったので、食べやすそうと思われる野菜と卵の炒め物を注文してみた。
ダイニングではテレビがついていて、言葉はよくわからないけど、インドかネパールの映画の映像が新鮮でしばらく眺めていた。
ダイニングの入り口のドアはなぜかずっと開けっ放しで寒い。閉めたかったけど、わざと開けてるような雰囲気だった。きっと私が咳きこんでいるからかもしれないと思い、閉めてほしいとお願いすることは遠慮した。かわりに、私の足元に電気ストーブをつけてくれたので、暖かく過ごすことができた。
注文した食事は、でてきてビックリ! これが1人前なの!?5人前くらいに見える・・・食欲がないながらも、けっこう食べたはずなのに、見た目はまったく減っていない・・・ 頑張ったけど、どうしようもなくなったので結局残すことにした。味は美味しかったので、スタッフさんに、とても美味しかったのだけど私にはとても多すぎて食べきれないと伝えてダイニングをあとにした。また声が出なくなっていたので、筆談で伝えた。スタッフさんは笑顔で、ありがとう!気にしないで!と言ってくれたので多少はほっとする。

こうして写真を見返してみると1人前に見える・・・確かにあの時は5人前に感じたのに・・・

ナムチェの病院でもらった薬を飲んで、シュラフに入る。が、横になると咳が酷くなり、発作もはじまり、全く眠ることができない。咳止めシロップは効かなかったようだ。この夜は一晩中咳と戦い、すぐそこに病院がないことの辛さを味わった。お腹の筋線が切れてしまうんじゃないかと思った。気休めに飴をなめても、水を飲んでも、まったく和らぐことはない。